まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「私はピエロ・その2」1983.7.1.


7月1日(金)


 教室で私はまるっきりアホです。友達みんなが真面目にやってて、私だけつまんなくなっちゃうような授業のときは、楽しみたいために、男子がやってる遊びに入れてもらいます。私もやりたいと言うと、たいてい「なんだこいつ。おかしなやつだな」みたいな顔をされます。でもたいてい仲間に入れてくれて、一緒に遊んでると先生に注意されます。
 休み時間、男子は私にちょっかいを出し、それに対する私の反応を見て男子は喜びます。特にしぐさ。私はいつも周囲を気にせず好きなようにふるまっていますが、あるとき、家の鏡の前で自分がやったように再現してみて、「ああ!なんてバカやってるんだろう」と思いました。
 この前の体育の時間もアホでした。ギャグには、精いっぱい体を使うべきだ。私が、砲丸を受け止める役目で、佐久間先生の帽子かぶりながらやってたら、にあうなんて言われたので「そお?」って言ってポーズをとったら、みんな大爆笑。そんな風にして私はいつもみんなを笑わせてきました。
・・・でもみんな、心の中では、ようちゃんてバカみたいって思っているのでしょうね。


 さきちゃんとの交換日記に、「私の欠点を教えて」と書いたことがあります。さきちゃんの答えは、「あんまりないと思うけど、バカみたいにすぐふざけることだと思う」
・・・・・・そうですか、そうかもしれませんね。


 人目を気にせず、自由に明るくふるまうってのは、いいことだと思います。
 でも私の場合、背が高くスラっとしていて、顔は優等生っぽく見えるのだそうです。その私がふざけるのは、ちょっと変に見えるのでしょうね。


 みーちゃんとすーちゃんが話してるところへ、私が「はろ~」と踊りながら行くと、すーちゃんは「あ~なんてこの子はバカなんだろう」という絶望的な顔をします。みーちゃんは、「それだから、ようちゃん好き!」と言います。
 また、ポッカが私の髪の毛をかき回したりすると、私は抵抗しようとします。そんな時だれかが横から「ようちゃんの得意のポーズしな」と言い、私が独特のしぐさでVサインを突き出して見せます。それをポッカがマネするので、私がそれを直して、ずっと指導してあげたりしてるのです。
 私のしぐさはみんなにマネされます。うちの班の男子は全員、ついには小林までやりました。私の口調は、みーちゃんやすーちゃんたちが。


* * * * * * * * *


 体を張ったギャグを意識的にやっているかのような口ぶり。一体、何しに学校に行っていたのでしょうね。
 みんなは私のことを笑いながら、家に帰ればちゃんと勉強して、志望校に合格し、進学していきました。私は学校でみんなに笑われ、家に帰ったら日記や手紙ばかり書いて、ちっとも勉強していませんでした。
 まあ、「家では新しいギャグの研究をしていました」とは書いていなかったのが、せめてもの救いでしょうか。


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「電話をかけてしまったこと」1983.6.


ちょっと、この辺でまとめて、先を急ぎたいと思います。


 修二くんは、隣町へ転校してしまいました。そのことを嘆いてもいるんですが、ちゃっかり同じクラスの話しやすい男の子と仲良くなったりもしています。
 その子は私より背が低く(私は高い方なので、特に学生の頃は、好きになった子の方が低いなんてよくありました)、成績が良くて授業中は真面目なのですが、休み時間にふざけてくれるので、よく一緒に遊んでいました。偶然に家も近所でした。修二くんとはまったく異なるタイプだったのですが、要するに私は「仲良くしてくれる人を好きになる」のです。かなり惚れっぽいです。


 その一方で、修二くんのことも忘れられず、なんと彼の家に電話をかけるという作戦に出ます。間違い電話のふりをして切る、ということを2,3回しました。2回は妹さんが出ました。3回目はとうとう本人が出てしまいました(もちろん話せませんでしたが)。
 私は普通の人なんですけど、白状すると、こういうストーカーめいたことを過去に何度かしてしまったことがあります。回数も少ないし、ほとんど何も言わずに切ったので、そんなに迷惑はかけていないと思うんですが、やはりとても人に言えたもんじゃない話ではあります。


 だからこのブログは、絶対匿名で書いています。


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「私はピエロ」1983.6.14.


6月14日(火)

みーちゃん「ようちゃん見てると、あきないよー」
すーちゃん「ほら、早く"うるせーなっ!"って言ってみな!」
私「うるせーなっ!」みんな大爆笑(こんな光景、しょっちゅうなの・・・。I am just like a pierrot)
タツ「なんか…修二に似てるよ、口らへん」
すーちゃん「ねっ、そうだよね!?」


……き、きゃあ!!修二に似てる!?タツは修二と仲良かったじゃん!!そのタツから言われたら、もううれしくなっちゃうじゃん!!


* * * * * * * *


 あの、修二くんは南方タミール系かと思われるような彫りの深い顔立ちをしておりまして。私とはまったく違う顔立ちなのですが、どうやら口元だけは同じような形をしていたようなのです。



 それはともかく。私はこのように、人に「笑われて」長いこと生きてきました。「おもしろい」と言われれば聞こえはいいですが、私はべつに笑わせようとしてやってるわけじゃなく、ああ、また笑われた、と思うだけでした。
 これがもし、人を楽しませるのが好きだとか、笑ってもらうのが好きだからお笑い芸人を目指すとかいうのならいいですが、私にそんなつもりは毛頭なく、向こうが勝手に笑っているだけ、ぐらいの気持ちでいます。


 やっぱり私に、ユーモアのセンスはないと思います。本当にただ、無意識に何かしていると、向こうが勝手に面白がって笑うだけです。これが天然ボケというものなのでしょうか。
 面白く話を展開させ、時にユーモアもはさんで人を笑わせる、これには才能が必要です。頭の回転の問題だと思います。しかし私の場合は、ただ単に仕草が変なのか、口調が変なのか、思考が変なのか、なんだかわかりません。


 そのことについて、嬉しいと思ったことなどありませんが、長いこと笑われないでいると、あれ?と思うようにはなっていました。
 さらに近年、そういえば最近あんまり人に笑われていないな、と思うことがありました。どうやら私も大人になり、普通の人のようにふるまうことを覚えたようなのです。ただ親しい人の中では相変わらずなので、おそらく私も猫をかぶらないでいると、まだ面白がってもらえるということのようでした。
 ただ、ここに来て、私にとっては新記録である、勤続5年が経とうとしているのですが、最近「ヨーコは面白い」と言う同僚がちらほら現れてきました。職場に慣れて、本性を出せるようになってきたからだと思います。


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「ママ、最近私に冷たい」 1983.5.21.


5月21日(土)
なぜだか泣けるのよね
うすぐらい、私の心のような部屋の中で
右にうつろに首をかたむけ
あらぬ方をながめる


心が淋しくて淋しくて
そんなことを修二がいないせいにして
まわりがなーんか うすぐらくって
力が失われちゃって、とれちゃって、だるくって


さて明日から、どうやって生きよう
自殺するほどバカでもないけど
今日ふと去年の日記見たら
「ママ、最近私に冷たいの」なんてドキッとするようなことが書いてあった
よく今まで普通でいるね
おどろいたよ
今こんなんなったら、きっと ぐれてるかもしれない


* * * * * * * * *


 この、修二くんというのが可哀想な家庭環境で育った子で、ご両親はそれぞれ愛人がおり、修二くんは夜どこかに食べに行ったり、出前を取ったりしてひとりで食事していたのだそう。そのためのお金は、いつも渡されていたということです。
 私はその事実にショックを受けました。自分とまるで違う世界に住んでいる彼に少しでも近づきたくて、うちの両親は仲いいけど、もしそうじゃなかったら修二と分かり合えたのに、なんてこと書いてます。
 親からの愛が感じられなかったらグレる、不良になるというんだったら、私だってぐれていたはずなんですが、なぜか私はそういう流れにはいきませんでした。それほど深刻ではなかったのかと、修二くんの例を見て思います。「最近私に冷たい」ってことは、それまではべつに冷たくなかったからそう書いたのだろうし、しかも反抗期にそんなこと書くってことは、(親に何言ってもしょうがないとか言いながら)やっぱり親の反応をかなり気にしていたんだなと思います。
 この事実を知ったことで、母親を許そうと思ったわけではないけれど、ただやっぱり書き残しておこうと思いました。


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「進路調査」1983.5.2.


 5月2日(土)
 進路調査を書き込む時、ママに言ったの。
「大学は行かない。高校出たら、海外旅行に行きたいし、アルバイトもしたい。最終的には、およめさんになる。仕事するんだったら、何か書いてみたい・・・」。ふだんから、心の中であたためてきたこと。
 そしたらママ、「そんなの、くだらない」とでも言いたそうな顔した。大学に行って、先生になってほしかった、って言うの。


 そのあと、けっこう言い合った。
 じっとうつむいてガマンしようと思っていたけど、涙が流れてとまらなかった。よくわからないけど。ママも泣いてた。
「せっかくここまで育ててきたのにさ、ここまできて、こんなことになるなんて思ってもみなかったよ・・・。おまえ、ママがどれだけ悩んだかわからないの?こういうことは言った方がいいかなとか、そんなことばっか考えて。ママはっきり言って、今ようちゃんのこと、すごく心配なんだよ。半年ぐらい前から、ママにぜんぜん心ひらいてくれないし・・・」。


 はっきり言って、つまんない夢かもしれない。でも、せっかく正直に話したのに、あんな風に否定されて傷ついた。
 でも・・・とりあえず、がんばる。勉強しなきゃあ。


* * * * * * * * *


 これを読んで、とても意外に思いました。両親とは進路をめぐってかなり衝突していた記憶はあるけれど、こんな風に本音をぶつけて話し合ったこともあったんだ、と驚きました。とにかく私は「愛してもらえなかった」という思いに悩まされ続けて今まで生きてきた人間ですが、あの母親が、私になんと言おうか真剣に悩んでいたと、打ち明けたことがあったんですね。それを聞いて、私も心動かされ涙を流していた(いずれにせよ、子どもの夢をくだらないと否定することは絶対あってはならないと思いますが)。こういった事実は日記に書いておかないと、自分の記憶と思い込みによって、消し去られてしまいます。
 ・・・ただ正直に言って、それでもまだ「すごく心配って、要するに大学に行ってほしかっただけでしょ。娘が高卒になったりしたら恥ずかしいと思ってただけでしょ」と思っている自分がいます。


 大学にさえ行けばいい、とにかく高卒はダメ。そんな空気の中で、私は周囲に反発し続け、絶対に人の言いなりにならない、自分の道は自分で決める、そんな決意のもと、最終的にはどうなったでしょう。今になってみれば、この日に言った通りのことをほぼ実現していました。さらに、(卒業資格はないものの)大学という名のつく機関にも通ったし、その後は教職にも就きました。親の希望まで図らずも叶えていた、ということになります。


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