「涙もろい子だと思われたい」1982.5.13.
5月13日(木)
私ね、正直いって、涙もろい子だと思われたいみたい。涙が出たら、心のどこかで「やった~もっと出ろ~」みたいに思ってる部分、確かにある。
ま、確かに私は涙もろい方だとは思うけど、例えば千春の歌を聞いてる時でも、だれも見てないのに涙を出そう出そうとしていることがある。
どうしてだろう。私の意識の中では、うーん何ていうか、涙もろい女の子の方がいい、と思っているのかもね。
たとえば、声を上げて泣くでしょ。そういう時は、泣いてるってことを人に見てもらいたいから、口はおさえるけど目、つまり涙は隠さないの。
でも本当に悲しくて大泣きしてるときは、なんで泣いてるんだろう、いつまで泣いてるんだろうとか思っていることも多いんだけどね。
結局、正直なところはどうだかわかんない。ただ「涙もろいと思われたい」という気持ちがあることは確か。
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実は大人になった今でも、そういうところがあります。なんというか、感情におぼれる自分に酔っているんでしょうね。海外では、大の大人が人前で泣くのはみっともないと聞いたことがありますが、相変わらずお葬式などで人より率先して泣いています。テレビや映画などを見ていても泣く確率は人より高いです。
彼氏や夫と喧嘩なんて時でもよく泣きます。こっちは真剣なんだとわかってもらうためです。本当は涙ちょろりで済むような時でも、少し大げさに長引かせます。また一時期、教師をしていましたが、低学年クラスではどうにもこうにも子どもたちを操縦できない時があり、絶望のあまり、泣きました。結構、奥の手として利用していると言えなくもないですね。
どうしてこうなったか。それは母親の影響です。うちの母がまさに、涙もろいことを自慢しているような人でした。「そういう話を聞くと、ほら、もうこうなっちゃう」と、赤くうるんだ目を指さして、笑いながら見せびらかしていたのです。それでなんとなく、そういう場面では涙ぐむべきなんだと思い込んだらしいのです。
私はすぐにもらい泣きしちゃうのよ、私は優しい人間なのよ、とでも言いたいような、そんな母親を軽蔑する気持ちが私の中にはありました。実際はそれほど優しくないと知っているからです。なのにまったく同じようなことをやっている私がいます。
そしてある時、学校に提出する書類に母が私の性格を「涙もろく繊細」とかなんとか書いているのを見た時は、えらく褒められたようで得意になりました。それでますます、涙もろくなくてはならないと肝に銘じた?のでした。