まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「日記なんかつけて、どうするの!」1982.11.20.


11月20日(土)


 きのうの夜、あたしが日記書いてたとき、おかーちゃんが来て、「最近勉強してないで、日記とかこうかん日記、友達への手紙ばっか書いてるじゃない!もうすぐ期末もあるし、実力テストだってあるのよ!」って怒るの。「そんなに毎日、日記なんかつけて、何のいいことあるのよ!男の話とか毎日ぐちゃぐちゃ書いてるだけで!」とか何とか言われてさ、すごくくやしくて。「もう向こう行ってよ!来ないでよ!そんなこと言ってる時間もったいないんだってば!こんなことしてなければ、今ごろとっくに書き終わってるよ!」って言ったら、怒って出て行っちゃった。
 私、泣き寝入り。そんで今朝起きてみると、一通の手紙。お姉ちゃんからでした。貼っておきます。


……私の、こういう日記が始まったのは、確か去年、中一の秋だったと思います。

 最近、思うんだけど。毎日毎日いろいろあって楽しいけど、なんとなく張り合いがなくてつまんない。なにか、毎日少しずつひとつのことをやっていって、中学3年間のうちにやった何かを残しておきたい。でも私には、一体何があるんだろうって、ひとつひとつ考えていったら……この日記が残ったの。
 だから、がんばって書きたいの。修二のことばっかだけどさあ。やっぱり何かを書くってことは、いちおう私の得意に属するからさ。


* * * * * * * * * * *


 姉の手紙も、ここに書き写そうと思っていました。でもやめておきます。
 著作権があるからとは言いません。絶対匿名のブログなので、姉はこのブログの存在を知らないどころか、こんな手紙を書いたことなどきっと忘れているでしょう。でも、書き写しません。なんとなく、負けを認めているような気がするからです。
 そう、負けたわけじゃないと思います。こんなことに、勝ち負けなどありません。もちろん世間様一般からすれば、姉は王道です。有名大学に進学し、一流企業に就職。結婚後も、子供3人を育てながら、ずっとフルタイムで働いていました(最近、時間を減らしたそうですが)。それに対し、私は高校卒業後、アルバイトやパート、契約社員などを経験した後、語学留学。その後は帰国するも結局はその国に戻り仕事を見つけ、やがて晩婚に高齢出産、さらに娘が反抗期のころに離婚。こう書いてみると、見事に対照的な姉妹ではあります。


 でもそれでも、私は面白い人生を送ってきたと、胸を張って言えます。
 ただ、当時の姉の手紙を読むと、ひとつ年が違うだけで、同じ親から生まれ、同じ環境に育ったはずの姉は、こうもしっかりしていたのかとちょっと驚きます。いわゆる「正当な、立派な意見」です。正論をもって、私を叱咤激励しています。当時の私の心にそれは響いたのですが、だからといって行動が変わることはありませんでした。私は相変わらず勉強をせず、毎日手紙や日記ばかり書いていました。


 ここで、私は言いたいのです。
 姉は大企業に就職したとはいえ、自分の専門分野とはあまり関係のない職種です。その姉の子供、つまり甥や姪の就職先も、スーパーや保険会社。さらに言うと、私の高校時代の友達も、当時はあんなに成績優秀だったのに、子供が独立した今はドラッグストアで販売したり、住宅ローン会社で事務をしたりしています。本当に好きな仕事をしている人、勉強してきたことを生かしている人は、ごくわずかなのです。


 一体何だったんだろうと思います。どうしてあんなに必死になって勉強しなければいけなかったのか。勉強しなかった私は、どうしてあそこまで叱られなければならなかったのか。


 今、ネット上には「好きなことを仕事にしよう」「他人のためでなく、自分のための人生を生きよう」「やりたいことに正直になろう」などの言葉があふれています。私が50代だから、目につくだけなのかもしれません。就学義務というものがある以上、子供はどうであれ勉強しなければいけない運命なのかもしれません。
 それでも、叱られながらもひたすら日記を書き続けた私は、その件に関して褒められることは一切ありませんでした(高校に合格した時は、よく頑張ったと言ってもらえましたが)。


 父は現在、80を超え、生前整理に着手しています。先日は年賀状の整理をしたとかで、年賀状という文化がなくなっていくことを嘆いていました。父自身も、数年前に年賀状からリタイアしたのですが、ここに来て初めて、私が長々と書き連ねる年賀状を毎年発信し続けていることを褒めてくれました。

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