まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「好きでした」1982.12.7


12月7日(火)
 もう つかれました。愛していられなくなったみたい。
 もう つかれました。愛されてみたいものです。
 もう たくさん。さようなら、そして ごめんなさい。好きでした!


 昨日はよかったのに。。。
 また給食の時間のことです。あいつは今日ねちがえたのか、首をいためてました。だから首を左にかたむけてないと、いたかったんです。
 そんで給食のとき、あいつが「いてーぇ」なんて言ってるので、あわれみの気持ちで、いたわってやる気持ちで、大丈夫なのというような目つきで見たんです。そしたら、あいつ、「なんだよ…しょうがねえだろ?いてぇんだぞ…こいつ、やぁな」という言葉を発したんですよ。
 やぁなっていうのは、やだなっていう意味。最後の方は、わたし無視してました。聞こえてないようにふるまって、ずっと食べてたもん。
 なみえちゃんが、私のほう見た。でも私は別に平気な顔してた。


 でも、心の中では大泣きしてた。
 今、夜の11時です。泣いてます。声をあげて。涙が止まりそうもない。修二のことで泣きたかったのに泣けなかった涙が、今ぜんぶ出てきます。


 バカみたいです。なんで今まで好きでいたの。
 本当は好きなのに、嫌われるようなことをしてしまった私に、修二は文句を言った。自分が悪いことは、わかってます。でもなんか、修二をうらんでしまう。
 勝手にカンカン(注:鑑別所のこと)でもどこへでも行けばいい。もう見守ることもない。7ミリ伸ばそうと思っていたツメも切りました。あんなこと言われて、傷つかない人はいないよ!


 もう いや


* * * * * * * * * * *


 なんか、酔ってますねえ。愛していられなくなったみたいって、なんかの歌詞からとったんでしょうかねえ。
 別に愛してなんか、いないってば。自分で自分に突っ込んでます。


 私は片想い専門家といえるほど、片想いの経験が豊富です。人数はそれほどでもないんですが、とにかく延々と想い続けてしまうのです。
 なぜかというと、好きになった時点で、片想いか両想いか、既に決まってしまうので。それですっぱりあきらめればいいものを、いつまでもしつこく想い続けてしまうんですよね。
 しかも、ずっと片想いだったのが、振り向いてもらって成就したという経験は、私にはありません。最初から最後まで片想いのままで終わるか、最初から苦労せず好きになってもらえるか、そのどちらかです。なのに、世間にはたまに長年の想いが叶うケースもあるようで、そんな話を聞くと、よし私もあきらめずに想い続けていよう、なんて決心してしまうんですよね。


 あれはハッキリ言って、時間の無駄でした。自信をなくしただけで、自尊心ボロボロになって終わりました。次の人が見つかるまで、ひきずっていました。
 なぜ、振り向いてもらえなかったか。自信のない私は自分を出せず、不自然なままで、まともに口を利くことさえできなかったからです。これで、どうやって好きになってもらうというのでしょう。考えすぎなんですね。
 しかし、だからといって、素を出せばいいんだよ、君は君のままでいいんだよとか誰かに言われたところで、一体どうやって今までの態度を変えればいいのか。頭でわかってはいるけれど、まあ難しいことよ!
 こうして私は、片想いの経験をひたすら積んできたのでした。

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