まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「風と共に去りぬを読んで」 1983.2.6.

2月6日(日)

 信じる―理解するー愛するー重荷を背負うー結婚するー生きる
”Gone with the wind” を、今日読み終わりました。あ~映画にもなった、あの小説ね~なんて気軽に読み始めたこの本が、こんなにも私をとりこにしてしまうなんて!ああ偉大なるマーガレット・ミッチェル!
 な~んて言ってないで、ともかく!


 こんなにも本を読んでボロボロに泣いたのは初めてです。なんかずっとスカーレットの気分になって、レットを失った悲しみにゆれてたけどやっぱり・・・こんな悲劇を読んだのは初めてですから、どうも・・・。
 そこで、立ち直る方法を考えました。この話の続きを作ったの!


「レットを失った悲しみをいやすために、スカーレットは故郷・タラに帰った。その後、多少アシュレと衝突。ウィルの死のニュースを聞いて、生まれて初めての絶望を味わった気がした。でもメラニーの子ボオ、自分の子ウェードとエラ、そしてリューマチを患ったマミーを放っておけないと、必死に耐え抜く。アシュレは半分ぬけがらのような状態で、生きがいを求めて北部へと旅立つ。
 時がたち、ウェードが15歳で婚約する。その年の夏、スカーレットはエラやボオを連れてウェードのフィアンセに会いにアトランタに行った。なつかしい製材所を訪ねると、思わぬ偶然でレットに会う。二人は話していくうち、やはりあなたしかいないと再確認する。ただし再婚はためらわれ、結局レットおじいさんはタラに来て、一緒に暮らすことになる。やはり二人は赤い糸で結ばれていたのだ・・・」


 きっとこうなると思う。スカーレットは、絶対にレットと再会します。
「重荷というものは、それを負えるだけの力のある肩にかかるのだ」
「だが、決してきみをうらんではいないよ」
・・・こんなところが印象に残っています。
 スカーレットを猛烈に愛しながら、それを素直に表現できなかったレット。知らずにつらく当たったスカーレット。でも作者はおそらく、二人がこのような結果になったからといって、なんでも素直になれと訴えたいわけではないでしょう。


 よくラブソングでも、「あの人は私の命」とかいうけど、ピンとこないわけ。でも、スカーレットの話を読んで、さすがによくわかった。愛するということが、見えてきたように思う。今、私はまるでスカーレットになったかのように後悔の気持ちでいっぱいだけれど、二人は再会するのですし、まあこれはいちおう作り話なのですから。そんなに本気でゆううつになることはないのです。スカーレットは、また一つ成長するはずですから。
 レットは、「苦労はプラスかマイナスになる」と言ったけど、その通りだと思う。


* * * * * * * * * * *


 この「風と共に去りぬ」は、14歳の誕生日に父親からもらったものです。新潮文庫版で、今も手元にあります。
 それまで私は、本格的な海外文学というものを読んだことがありませんでした。いわゆる児童文学とか、そういうやさしいものばかりだったような気がします。なので、この作品を読んだことは、とにかく強烈な出来事でした。日記にもあるとおり、読書でこんなに泣いたのは初めてだったのです。
 その後、私は次々と「海外文学の恋愛小説」に手を染めていきました(アンナ・カレーニナ、椿姫、初恋・・・)。そう考えてみると、時期も作品も、父の選択はまことに的確だったといえます。
 父親は編集者で、私に大きな影響を与えてくれました。書くことを教えてくれたのも、もともとは父です。今現在、生前整理をしていますが、それはつまり、山のようにたまった蔵書の整理です。老体に鞭打って取り組んでおり、里帰りのたびに苦しんでいるのを見ると、つい協力しなければと思って、私も読み切れないほどの本をもらってきてしまいます。


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