まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「私はふつうの人とは違う」1982.8.14


8月14日(土)
あのね 私 ずっと前からだけどね
自分は ふつうの人とは ちがうんだ
私には とくべつの なにかがあるんだ
みたいに 信じてる部分があるの
どうしてだろ
冷静に 自分の行動をふりかえってみれば
ただ ただ普通なのに
平凡なのに
まあ、そんなこと わからないけどね


**********


 へえぇ、そんなこと思っていたんだ、というのが今の私の感想です。
 現実には、日常的に母親にバカ呼ばわりされ(母は私と話す時にそれはもう「バカ」を連発していました。当たり前になっていたので、それを娘に指摘されるまで私自身気づかなかったほどです)。父親は時に私の作文などを認めてくれていましたが、要求が高いことに変わりはなく。学校でも小学生の頃こそ優等生だったものの、中学で教科の差が著しく開き、高校では赤点の常習犯となっていました。
 要するに、特に優れた才能を持っているような兆候も片鱗もなかったわけです。にもかかわらず、こういうことを信じて、かつ書き残していたというのは興味深いです。まあ単なる思い込みなのでしょうが、それが本当に根拠もなく、周囲から特にほめられることもなく育ってきたので。例外的に、書いたものをほめられたことはありましたが、まあそう頻繁にあったわけではありません。
 ただ、「平凡」というのは正しくないです。成人してから実にさまざまな体験をしてきた私ですが、育った家庭環境もまた複雑で、決して平凡ではありませんでした(それに気づいたのも大人になってからです)。 
 そして「普通」でもなかったと思います。子どもの頃は常に、「ようちゃんって変わってるね」「変な子だね」と言われ続けてきたからです。考えてみれば、この思い込みは、もともとこのあたりから来ているのでしょうね。ただの「変わった子」という評価を、少し自分の都合のいいように、少しドラマチックに劇化していたにすぎないのではないでしょうか。


「とくべつのなにか」というのは、一体どんな特別なものだと思っていたのだろうか。もう少し詳しく書いておいてほしかったと、今の私は思います。

×

非ログインユーザーとして返信する