まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「性格テストをしたこと」1981.10.20.


10月20日(火)


 今日、図書館にあった本で性格テストをしたら、私「かびん性」だって。しんけいしつなの。感受性ゆたかで、人の心がわかり、人のきずつくことを言わない(これちがう)etc. で、ほとんど当たってた。この性格の人は頭のいい人が多いんだって!


* * * * *


 実はその類のテストをして、過去に何度も、感受性が豊かだとか、過敏症だとかいう結果が出ました。それに影響され、なにかあるたび、私は過敏に対応しなければならないと心の中で思っていたふしがあります。変な話ですが。
 具体的には、みんなでドラマや映画を見ている時、感動的な場面では必ず涙を流さなければいけない。お葬式に行けば、誰も泣いていなくても私は泣かなければいけない。そう思ってしまい、実際にそうしていました。その間ずーっと泣いているわけではないのですが、何かのスイッチが入るともう自分でも抑制できないくらい号泣。でも、スイッチが切り替われば(または時間がたてば)涙は止まる。
 ここ最近は、娘も大きくなり家を空けることも多くなりましたし、ユーチューブという便利なものもできたので、ドラマやドキュメンタリーを一人で見る機会も増えました。人目を気にしなくていいので「泣かなければ」なんて思わないのですが、一人でいるほうが簡単に涙が出てくるような気がします(一人で古いドラマを見たり、懐かしい歌を聴いたりして涙を流す。異国の地にいる私にとっては究極の現実逃避であり、最高の息抜きです)。


 過去に涙が止まらないほど、いつまでも泣いていたことって、あまり思い当たりません。例えばバレエの先生にひどく叱られて、もうやめたい、でももうすぐ発表会だしやめられない、どうしようかと絶望している時にいつまでも泣いていたような。何度も失恋して大泣きしましたし、友人や家族、ペットを失ったり、窮地に立たされたりした時もかなり長いこと泣いていました。
 けれど私は基本的に楽観主義というか、わりとすぐに解決策を見つけて立ち直るタイプです。日記に想いを書き尽くして、気持ちの整理をしているからだと思います。


「人の傷つくことを言わない(これちがう)」というのは、的外れなことを言って、それが誰かの気に障り、傷つけたり立腹させたりしたという経験が何度もあるからです。なのでもちろん故意にではなく、注意不足のうっかりなのですが。これは「人の気持ちがわからない」というより、発言する前に想像力を働かせていないということですね。
 だから私は、話すより書く方が好きなのです。


「頭のいい人」って、一体どういう人のことを言うのでしょうか。学校の成績で言うなら、これは当たっていませんでした。私が優等生だったのは、小学生まで。この日の日記は中学1年の頃なので、もうそろそろ現実が見えてきた頃です。その後は見るも無残に転落していきました。それでも、好きな科目は自発的に勉強したので成績もよく、大人になった今も続けているというわけです。
 まあ、こんなの、よくある話ですよね。

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