まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

懐かしい歌「小さな肩に雨が降る」谷村新司


小さな肩に雨が降る☔谷村新司 Shinji Tanimura


 谷村新司さんが亡くなったそうですね。
 私は、アリスのヒット曲の数々よりも、「昴」よりも、この曲が好きなのですが。ユーチューブで探していたら、出てきました。本当に、ユーチューブってタイムマシンですね。時々、やめられなくなって困るのですが、こういうことがあると、心底ユーチューブに感謝したくなります。


 今、中学生の頃の日記を整理しているので、ちょうどその頃の時期の曲ということもあって……。くり返し聴いているうちに、泣けてきました。


 「情熱だけで生きてゆくなど 虚しい夢と知らされた」


 「挫折の度に感じ続けた 夢はあまりに遠すぎる」


 今は私も、いい大人になっていますが。両親や先生たちに叱られてばかりいた、あの頃の私に一言、言ってやりたい。
 いいんだよ、日記ばかり書いてたよね。手紙ばかり書いてたよね。同じ本をくり返し読んでたよね。好きな人のことばかり考えていたよね。あんまり勉強しなかったよね。
 いいよ、それで、よかったんだよ。そのあと、ちゃんとしっかりやっていたよ。勉強だって、やるときはやったよ。留学だってしたよ。そのあと、ちゃんと仕事にも就いたよ。念願の教職にも就いたし、結婚だってしたし、子どもだってひとり産んで育てたよ。よく頑張ったよ。


 日本人は、自己肯定感が世界一低い国民だそうです。どうして子供を褒めて育てないんでしょう。私も被害者、私もそのひとりです。そして私自身も、我が子を褒めるのは今も難しいと感じています。
 こんなにいい子に育ったのに。


 もしも今から私が、子どもの頃からの、最大の夢をかなえてあげたなら、そしてあの頃の私にそれを教えてあげたなら。あの頃の私は、どれだけ喜ぶだろう。
 今からでも遅くない、あと少しできっと夢はかなう。そうしたら、伝えてあげたい。結局、夢はかなったよって。それで、よかったんだよって。あれほどみんなにダメだと言われ、否定されていたけど、結局それで、よかったんだよって。


にほんブログ村 その他日記ブログ 思い出・過去へ
にほんブログ村


にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村

「母ちゃんが手紙読んでた」1983.4.21.

4月21日(木)

 部活んとき、仁(注:担任の先生)が「ようこちゃん」なんつって来て、「昨日、保護者会にお母さん来てたな。なんか言ってた?」って言うから、私「あ、今ケンカしてるから、口きいてないの」。
 だって、おとといの夜かな。寝てたら、夜中にガサゴソ音がするから起きたら、母ちゃん、私の机の上の、えっちゃんからの手紙読んでんだもん!
「やめてよー勝手に読まないでよー!」って言って泣いたら、「ああ、泣け泣け!」と言って、下に降りていった。
 あれから、まともに口きいてないんだ。


* * * * * * * * * *


 ああ~、ごめんなさい! 私も娘の部屋に立ち入って、手紙などを盗み読みすることがあります。
 たたんでやった洗濯物を、娘のベッドの上に置くことになっているので、娘も私が部屋に入ることは知っています。リビングなどに散らかした娘の私物も、私が部屋に持っていっていいことになっていますし、ゴミを集めていて目に付いてしまった、なんてこともあります。
 じゃあ極秘ってわけじゃないのよね・・・というのは、もちろん私の言い訳です。


 親が子供の手紙を無断で読むことは、確かに許されることではありませんよね・・・。私もやられて、心底、母親を憎みました。なのに自分も同じことを娘にしている・・・。もしも本人にばれたら、平謝りするしかありません。


 ただ私は、本人が知らない限りは、まあ許容範囲ではないかと思うのです。読んでいる現場を見られないのは大前提、さらに内容を知っているという事実が悟られるようなことを本人には言わない、これは鉄則です。
 何事もなかったかのように振舞いながら、気遣いはする。それなら、こっそり読んだことも、まあ役に立つと言ってはいけないでしょうが、それなりに意味があるのではないかと。


 これも娘のことが心配がゆえなんですよ~なんて、やっぱりきっと本人は許してくれないだろうな。


にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 その他日記ブログ 思い出・過去へ
にほんブログ村

「大学なんて行きたくない」1983.3.23.


3月23日(水)


 あたし……大学なんか行きたくない。受験なんて、一度でたくさん。
 中3は、一学期しか遊べないんでしょ。高1……もし大学うけるんだったら、この時しか遊べないし。

 あたし、大学なんか行かない。まわりをしっかり見わたした高校生活おくりたい。
 そして、高卒の人を決してバカにしない。中卒も。


 なんか遊ぶことばっか考えて、にげてるみたいだけど。ようするに、もっと書いたり……好きなことをもっとしたいだけ。
 やっぱり英語の先生になるなんてムリ。留学も……あきらめるかも。海外旅行ができればいいよ。


* * * * * * * * * *


 本当に不思議なんですが、私、留学は、果たしました。世間には、海外旅行や留学、はたまた海外移住を夢見る人が数多くいるそうですが、なかなか踏み切れずに、何年も先送りすることが多いそうです。私はなぜか、それに関しては何のしり込みもせずに、実行してしまいました。
 今現在いる国は、ちょっと成り行きというか、自分で選択した行き先ではないのですが。それでも、結果的にこの国に移住したことになっています(ちなみに、もう他のどの国にも行きたくないと思うほど、ここが気に入っています)。
 だから、留学を「あきらめるかも」と書いていたなんて、自分でもびっくりです。数少ない、得られた情報をもとに、悲観していたのかもしれません。


 とにかく、大学進学はしませんでした。そして、高卒や中卒の人をバカにしないと書いていますが、それも守っています。
 ただその後、私が就いた職業は、大卒であることが前提というか、大卒でないと不利ということがいくつかありました。なので、多少は進学しなかったことに後悔もしたのです。
 それでも資格を取ったり、えり好みせずに何でも受け入れてきたりしたおかげで、常に仕事には恵まれていたと思っています。


にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 その他日記ブログ 思い出・過去へ
にほんブログ村

「中2も終わり」1983.3.25.

3月25日(金)


 みんなは最後まで先生に物投げて、いじめてて。こんなクラスと別れたくないなんて、おかしいね。朝礼に行く前、きーちゃん、サクラ、マーシーちゃんたちと泣いてしまった。。。
 佐川が学級委員として、学校通信にクラス一年間の感想を書いてたんだけどね。。。「林間学校を始めとして、みんな先生に反抗し、協力しようとしなかった。ただ駅伝大会の練習は燃えたので、みんなひとつになれるかと思ったら、雪で中止。残念であった」


 バラバラなクラスだったのに、やっぱり楽しかった。この教室で修二も私も毎日学校生活を送っていたなんて。成長したよ。いいものもらったよ。初恋を授かったよ。


* * * * *


 そうなのです。このクラスは今でいうところの学級崩壊クラスでした。
 この先生は別に問題はなく、以前は生徒たちから慕われていたようなのですが、私たちの受け持ちになって、何かをきっかけに(忘れました)どんどん遠心力を失っていきました。
 けれど上記の通り、何かの折にはわりと団結していたので、まったくバラバラなクラスではなかったのです。林間学校の際には、うちのクラスだけ勝手に肝試しに行ったり、部屋でディスコをしたり、それなりに楽しかったです。一人不登校の子がいたのですが、みんなであれこれ意見を出しあって、彼がまた来てくれるよう、プロジェクトに取り組んでいたような記憶があります。
 それにあの先生が翌年受け持ったクラスは、別に崩壊していなかったと思います。本当にささいなことが重なって、こうなってしまっただけのようでした。
 私も後年いわゆる教職に就いたので、あの先生の苦悩が少しはわかります。私は義務教育のクラスを教えてはいなかったし、毎日顔を合わせるわけでもなかったのですが、生徒たちが私の指示に従ってくれない虚しさは経験しました。感情にまかせて怒鳴ったり、涙を見せたこともありました。いや学校の先生は本当に大変です。ご苦労お察しいたします。




にほんブログ村 その他日記ブログ 思い出・過去へ
にほんブログ村


にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村

「告白された」1983.3.9.


3月9日(水)
 ドキドキしています。とても勉強なんてできる状態ではありません。なんか涙が出てきそう。うれし涙か、くやし涙か。
 ああ、ともかく、こんな時はどうすればいいのですか。
(中略)
 そして夜、問題の電話がかかってきた。岩田からだよ。なんて言ったと思う?「新島、お前のこと好きだから、つきあいたいんだって」
 はじめ、夢、いや、ふざけてると思ったの、マジで。でも、なんか、本当みたいなんだよ。
 いちおうその時は、「きらいじゃないけど、つきあうなんて改まって言われても。。。別に、いつもしゃべってるし、そんな。。。」なんて慌てふためいて、あいまいに答えたら、それを新島に伝えたらしくて、今度は新島本人から電話がかかってきたんだよー。土曜日までに返事くれ、なんて言われてさ。
 もう、どうしようー


 ふるえてます。涙が出そうです。
 新島って、ご存知、去年までは好きだったけど、それがみんなにばれちゃって、その後、わたしの気持ちがさめていった、という子です。正直いって今、新島のきらいな点ばかりがうかんできちゃう。いちおう明日、ゆみこなんかに相談してみるけど、「きらいじゃないけど、つきあえない。好きな人がいるから。これからも仲良くしてね」と答えるつもり。
 そう、修二に言われたかった。。。これが修二に言われてたら、どんなにうれしかったか。。。つい先週も修二のこと思い出して大泣きしたばかりなのに。
 だってさあ、新島、本気だなんて思えないよ。今までの行動見たって。4組の川野さんや、さっちゃんの方をずっと向いてるように見えるよ。最近わたしのことはかまってくれなかったし。
 いや。。。いやだあ。つきあいたくない。
 もう男女交際できる年ごろだなあ~なんて思ってはいたけど。確かにイヤではない。生まれて初めて、私のこと好きって言ってくれる人にめぐり逢えたから。でも、私は好きじゃないのに、つきあったら、向こうがかわいそうじゃん。


* * * * * * * * * *


 この件はとんと忘れていました。やっぱり日記は書くものですね。いやあ懐かしいです。
 修二くんへの想いが燃え上がって以降、新島くんは、ただのクラスメイトでした。なので、この日の出来事はまさに、寝耳に水。悩んだ末、友達に私の気持ちを伝えてもらいました。そのとき彼は、本当は1年の時から好きだった、俺のこと好きってばれたとき嬉しかった、でもずっと心の奥にしまっておいた……と言っていたそうです。
 しかし今回いちばん私が驚いたのは、「高橋ってけっこう人気あんだぞ」と新島くんが言っていた、という箇所です!
 私は「思う人には思われず、思わぬ人に思われて」専門だと確信していて、片想いの経験が豊富なのです。が、まさかそんな事実(?)があったとは!
 このことについて、もうちょっとよくよく考えていたなら、その後の人生も少しは変わっていたかもしれません。自分のことを、とにかくダメダメと思っていたので。
 しかし実際は、そんなことすぐに忘れて、再び「修二が忘れられない」だの、「会いたい」だの、うじうじ言っているだけでした。


にほんブログ村 その他日記ブログ 思い出・過去へ
にほんブログ村