まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「キライって言われた。。。」1982.12.15


12月15日(水)
 さっき泣いてたんです。お姉ちゃん、「ようこってチャラチャラしててや~ね。あたしはキライです」なんて言うから。
 それに理科の時も、はーちゃんとみっちゃんとりかしゃんに、キライって言われた。。。
 あたし、いつもはふざけてても、こういうこと言われるとものすごく傷つくんだ。そんなのまともにとる私も悪いけど。どうせ冗談だけど。まあ、千春のカセット聞いて立ち直ったけど。
 私は、変わろうとしていたのに。よくなってるんだと信じようとしていた、このプライドがまた傷つけられた感じ。ものすごく悲しい。みんな私が悪いんだけど。私はピエロです。からかわれるタイプなのかな?さとみにそう言われた。
 いいんです。欲がなくて。みんなの話を聞いて、ぐちを聞いて、私はおどけてればいいの。
 でも、今は変わることに悩む時期なんだよね。今は傷ついても、きっと幸せをかみしめる時がくると信じてます。そうじゃないとあたし、生きていけない。
 暗やみって好き。部屋が明るいと壁が遠い。机が遠い。
 暗やみなら、私を包んでくれるから。
 暗い私が、こう思った。
 とにかく今は悩む時なんだから。明日を信じて!


* * * * * * * * 


 私はまあとにかく打たれ弱いです。何か言われると、ひたすら気にする。いつまでも落ち込む。特に私に向けて言われたのではないようなことまで、自分で受け取って傷ついています。それはあなたに向けられたことではない、傷つく必要はない、と何度言われたかわかりません。でも、私にはどう見たって私を標的にしているとしか思えないのです。
 組織の中で、他人の評価を気にする。どう思われているかが非常に気になります。
 なのに、知らない人からどう思われているかは、まったく気になりません。おかしなもので、服装には無頓着だし、道で歌いながら歩くこともできます。二度と会わない人だと思えば、私は自由。何だってできます。
 ただし組織の中でそれはないのに、よく「変な子」「変な人」だと言われてきました。


 そして、日記にもしばしば出てきますが、よくふざけるので、底抜けに明るいと思われるらしく、「ようちゃんってそんなに悩む人だったんだ」「そんなに深刻に考えたりする人だったの」と驚かれることがあります。特に私の文章を読んだ友達にそう言われます。私のイメージと、私の書く文章はずいぶんとかけ離れたものらしいです。

偏食について


 私は、超偏食児でした。それで母親に、よく叱られていました。
 たまに行くレストランで注文するのはグラタン、スパゲッティなど滅多にお目にかかれない料理。ふだんは甘いものばかり欲しがっていました。主食であるごはんがとにかく苦手で、毎回食事のたびに、白い米粒を口に運び、喉の奥へと押し込む作業をいやいやくりかえしていました。米粒は、表面が黄ばんで固くなっていたことを思い出します。
 母親からすれば、一生懸命作ってやった食事を子どもが食べなかったら、そりゃあ頭に来ると思いますよ。食べ終わるまで食卓を離れてはいけないと言われ、1時間かけてしまったこともあります。
 しかし、あればっかりはどうしようもないのです。お腹はそれほど空いていない、そんなに食べられない、おいしいと思うこともそれほどなかった。食べることは、私にとって苦痛ですらありました。


 大人になって海外に住むようになってみると、まあ白いご飯のおいしいこと。世界には様々な種類の米がありますが、やはり日本のジャポニカ米が最高だと自信をもって言えます。
 さらに、かつては何とも思わなかった、豆腐やもやし、味噌、海草、魚など、日本はなんと多くの味わい深い食材であふれていることでしょう! 
 ちなみに、今の私にとって最高の一品は、うなぎのかば焼きです。これを超えるものは、もはや考えられません。
 と、今では食べることが大好きですし、日々の生活の楽しみでもあります。


 妊娠し、母親となる前に、その点についてよくよく考えました。私の子なら、偏食児が出てきても何の不思議もない。たとえそうであっても叱るものか。偏食はどうしようもないことなんだと、私自身よくわかっている。放っておいても、いつかは食の喜びを理解してくれる時がくる。
 けれど蓋を開けてみると、とにかく何でもよく食べる子が出てきました。食に関しては、父親に似てくれて実にありがたかったです。叱ることなく済みました。
 おまけに娘の将来の夢は、フードビジネスだそうです。この夢がかなうよう、私もできる限り応援してやりたいと思っています。

「好きでした」1982.12.7


12月7日(火)
 もう つかれました。愛していられなくなったみたい。
 もう つかれました。愛されてみたいものです。
 もう たくさん。さようなら、そして ごめんなさい。好きでした!


 昨日はよかったのに。。。
 また給食の時間のことです。あいつは今日ねちがえたのか、首をいためてました。だから首を左にかたむけてないと、いたかったんです。
 そんで給食のとき、あいつが「いてーぇ」なんて言ってるので、あわれみの気持ちで、いたわってやる気持ちで、大丈夫なのというような目つきで見たんです。そしたら、あいつ、「なんだよ…しょうがねえだろ?いてぇんだぞ…こいつ、やぁな」という言葉を発したんですよ。
 やぁなっていうのは、やだなっていう意味。最後の方は、わたし無視してました。聞こえてないようにふるまって、ずっと食べてたもん。
 なみえちゃんが、私のほう見た。でも私は別に平気な顔してた。


 でも、心の中では大泣きしてた。
 今、夜の11時です。泣いてます。声をあげて。涙が止まりそうもない。修二のことで泣きたかったのに泣けなかった涙が、今ぜんぶ出てきます。


 バカみたいです。なんで今まで好きでいたの。
 本当は好きなのに、嫌われるようなことをしてしまった私に、修二は文句を言った。自分が悪いことは、わかってます。でもなんか、修二をうらんでしまう。
 勝手にカンカン(注:鑑別所のこと)でもどこへでも行けばいい。もう見守ることもない。7ミリ伸ばそうと思っていたツメも切りました。あんなこと言われて、傷つかない人はいないよ!


 もう いや


* * * * * * * * * * *


 なんか、酔ってますねえ。愛していられなくなったみたいって、なんかの歌詞からとったんでしょうかねえ。
 別に愛してなんか、いないってば。自分で自分に突っ込んでます。


 私は片想い専門家といえるほど、片想いの経験が豊富です。人数はそれほどでもないんですが、とにかく延々と想い続けてしまうのです。
 なぜかというと、好きになった時点で、片想いか両想いか、既に決まってしまうので。それですっぱりあきらめればいいものを、いつまでもしつこく想い続けてしまうんですよね。
 しかも、ずっと片想いだったのが、振り向いてもらって成就したという経験は、私にはありません。最初から最後まで片想いのままで終わるか、最初から苦労せず好きになってもらえるか、そのどちらかです。なのに、世間にはたまに長年の想いが叶うケースもあるようで、そんな話を聞くと、よし私もあきらめずに想い続けていよう、なんて決心してしまうんですよね。


 あれはハッキリ言って、時間の無駄でした。自信をなくしただけで、自尊心ボロボロになって終わりました。次の人が見つかるまで、ひきずっていました。
 なぜ、振り向いてもらえなかったか。自信のない私は自分を出せず、不自然なままで、まともに口を利くことさえできなかったからです。これで、どうやって好きになってもらうというのでしょう。考えすぎなんですね。
 しかし、だからといって、素を出せばいいんだよ、君は君のままでいいんだよとか誰かに言われたところで、一体どうやって今までの態度を変えればいいのか。頭でわかってはいるけれど、まあ難しいことよ!
 こうして私は、片想いの経験をひたすら積んできたのでした。

「日記なんかつけて、どうするの!」1982.11.20.


11月20日(土)


 きのうの夜、あたしが日記書いてたとき、おかーちゃんが来て、「最近勉強してないで、日記とかこうかん日記、友達への手紙ばっか書いてるじゃない!もうすぐ期末もあるし、実力テストだってあるのよ!」って怒るの。「そんなに毎日、日記なんかつけて、何のいいことあるのよ!男の話とか毎日ぐちゃぐちゃ書いてるだけで!」とか何とか言われてさ、すごくくやしくて。「もう向こう行ってよ!来ないでよ!そんなこと言ってる時間もったいないんだってば!こんなことしてなければ、今ごろとっくに書き終わってるよ!」って言ったら、怒って出て行っちゃった。
 私、泣き寝入り。そんで今朝起きてみると、一通の手紙。お姉ちゃんからでした。貼っておきます。


……私の、こういう日記が始まったのは、確か去年、中一の秋だったと思います。

 最近、思うんだけど。毎日毎日いろいろあって楽しいけど、なんとなく張り合いがなくてつまんない。なにか、毎日少しずつひとつのことをやっていって、中学3年間のうちにやった何かを残しておきたい。でも私には、一体何があるんだろうって、ひとつひとつ考えていったら……この日記が残ったの。
 だから、がんばって書きたいの。修二のことばっかだけどさあ。やっぱり何かを書くってことは、いちおう私の得意に属するからさ。


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 姉の手紙も、ここに書き写そうと思っていました。でもやめておきます。
 著作権があるからとは言いません。絶対匿名のブログなので、姉はこのブログの存在を知らないどころか、こんな手紙を書いたことなどきっと忘れているでしょう。でも、書き写しません。なんとなく、負けを認めているような気がするからです。
 そう、負けたわけじゃないと思います。こんなことに、勝ち負けなどありません。もちろん世間様一般からすれば、姉は王道です。有名大学に進学し、一流企業に就職。結婚後も、子供3人を育てながら、ずっとフルタイムで働いていました(最近、時間を減らしたそうですが)。それに対し、私は高校卒業後、アルバイトやパート、契約社員などを経験した後、語学留学。その後は帰国するも結局はその国に戻り仕事を見つけ、やがて晩婚に高齢出産、さらに娘が反抗期のころに離婚。こう書いてみると、見事に対照的な姉妹ではあります。


 でもそれでも、私は面白い人生を送ってきたと、胸を張って言えます。
 ただ、当時の姉の手紙を読むと、ひとつ年が違うだけで、同じ親から生まれ、同じ環境に育ったはずの姉は、こうもしっかりしていたのかとちょっと驚きます。いわゆる「正当な、立派な意見」です。正論をもって、私を叱咤激励しています。当時の私の心にそれは響いたのですが、だからといって行動が変わることはありませんでした。私は相変わらず勉強をせず、毎日手紙や日記ばかり書いていました。


 ここで、私は言いたいのです。
 姉は大企業に就職したとはいえ、自分の専門分野とはあまり関係のない職種です。その姉の子供、つまり甥や姪の就職先も、スーパーや保険会社。さらに言うと、私の高校時代の友達も、当時はあんなに成績優秀だったのに、子供が独立した今はドラッグストアで販売したり、住宅ローン会社で事務をしたりしています。本当に好きな仕事をしている人、勉強してきたことを生かしている人は、ごくわずかなのです。


 一体何だったんだろうと思います。どうしてあんなに必死になって勉強しなければいけなかったのか。勉強しなかった私は、どうしてあそこまで叱られなければならなかったのか。


 今、ネット上には「好きなことを仕事にしよう」「他人のためでなく、自分のための人生を生きよう」「やりたいことに正直になろう」などの言葉があふれています。私が50代だから、目につくだけなのかもしれません。就学義務というものがある以上、子供はどうであれ勉強しなければいけない運命なのかもしれません。
 それでも、叱られながらもひたすら日記を書き続けた私は、その件に関して褒められることは一切ありませんでした(高校に合格した時は、よく頑張ったと言ってもらえましたが)。


 父は現在、80を超え、生前整理に着手しています。先日は年賀状の整理をしたとかで、年賀状という文化がなくなっていくことを嘆いていました。父自身も、数年前に年賀状からリタイアしたのですが、ここに来て初めて、私が長々と書き連ねる年賀状を毎年発信し続けていることを褒めてくれました。

「かっちゃんなんか、だいっきらい」1982.11.8.


11月8日(月)

 夕飯のとき、お母ちゃんが、「ようこ、男がほしいなんて言ってんだよ」なんて言うの。私、交換日記を読まれたのかと思って、といつめた。なかなか言い出さないから、見られたんだと思って、泣いちゃった。そしたらね、事実を言ったの。かっちゃんのお母さんから聞いたんだって。うちの母ちゃんと仲がいいから。


 かっちゃんなんか、だいっきらい。
 かっちゃんと私は、確かに小学3年、4年と同じクラスで、私が1位、かっちゃんが2位の成績だった。でも私、今考えれば、あんなにつまんない私はないよ。友達に不自由してたわけじゃないけど、いい思い出はこれといってない。授業も特別楽しくはなかった。家で勉強もしなかったけど、成績は良かった。言ってみれば、天性みたいなもんが発揮されてたとき。
 だから、ボーッとしていた。人間として、つまんなかった。
 今、こんなに騒いで、男の子とも楽しく話せて、明るい遥子が出来上がってるでしょ。そんで、自分を変えようとして、人なつっこい女の子になろうと努力し、悩んでいるときに、「高橋さんは変わった」とか陰で言われているなんて。
 確かに、かっちゃんは何も変わってないね。変わらなければいいと思ってんの?
 人間は変わっていくもんだよ。もう変わらなくていい、このままでいいって“完成”した時は、誰かがそう教えてくれるんじゃないかな。
 私は、これからも変わっていく。良くなっていくよう努める。かっちゃんは変わりたくないの?完璧なの?言わせてもらえば、完璧じゃないね。男がほしいって言い方は、確かに品がないよ。でも、彼氏がほしいっていう人のことをバカにしてどうするの。ただの負け惜しみじゃん。休み時間も勉強して。
 恋愛していない人っていうのは、している人より一つ子供なんだ。人生勉強のためにも、恋愛ってしなくちゃいけないものなんだ。
 そんな私を、悪くなったみたいに「変わった」とか言うなんて。
 私は、いつまでも優秀ではなかった。勉強なんか、おいてきた。でも何の後悔もしてないよ。これからも変わっていく。かわいそうだ、かっちゃんなんて。


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 なんか、自信たっぷりですが。必死で言い訳しているようにも見えます。
 そうなんです、私は中学になって一気に成績が下がりました。こっちこそ負け惜しみのようなことを書いていますね。
 ただ、私にも言い分はあります。それは次回に書きます。