まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「ママがきげん悪い」1982.8.12.


8月12日(木)
 神経質だなあ!私って。
 ママ、最近、私に冷たいんだよ。きげん悪いと、いちばん私にひどいこと言うの。私、最近、返事を素直にして、がんばってるのに。みんな手伝わなくて、ママがかわいそうだと思って、私は手伝ったりしてるのに。
 昼間だらだらしてたり、素直でなく口ごたえするからだと思うけど。。。でもひどいよ、きげんのいい時だけが天国(!?)だよ。


 あ、今日は左のあばら骨の下のところがずっと痛かった。イテッ、どうして?朝も食欲なかったし、頭いたくて、午前中寝てた。昨日は夜中に起きちゃって。。。さえないなあ。食事はちゃんととってるし、睡眠もとってる。ん?運動が足りないのかな。。。


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 なんか、こういうの読んでいると、我ながら健気だったなあと思います。案外、うちの娘もこんなこと思っているのかも。せっかく手伝ってあげたのに、ほめられないで怒られた、とか思っているのかも。いや娘の場合は、日記に書かずに直接言ってきますが。


 左の脇腹が痛いというのは神経痛で、この後、帯状疱疹にかかりました。中2の夏休みだったのはよく覚えています。そして今でも後遺症で、神経痛がときどきぶり返します。

「片想い」 1982.6.28.


6月28日(日)
(前略)別に、愛の告白なんかしたってふりむいてくれるわけじゃないし、ただ仲良くなりたいの。。。授業中や休み時間、そうじのときなんかに気軽にふざけ合ったりおしゃべりしたいの。。。さとみが山口とにこにこしゃべってるの見ると、やきもちというかくやしいというか、そういう感情があることは確か。さとみとは、お似合いかもしれない。でも、そんなのみとめるのくやしい。だから、ただ、ちょっと気になっただけ、と強がる。。。そんな自分が情けないような。
 ただ見てるだけでいい、仲良くなるなんてとんでもないって考えもあるみたいだけど。私、だいぶ欲張りになったみたい。やっぱり、思いが伝わった方が結ばれる確率も高いと思う。恥知らずの私だったら、告白できるかも。

 あ~今、修二何してるかな。今日も一言もしゃべれなかったけど。。。


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 「結ばれる」って、一体どういうつもりで書いていたんでしょう。告白して一体どうするつもりだったのか。万が一、両想いにでもなったりしたら、お付き合いしたかったのでしょうか。
 いやいや、それは絶対にないと、冷静に考えればわかったはず。じゃあどうして?ふられるとわかっているのに、どうして悶々と悩んだりしたのでしょうか?


 正直に言います。この私にも、人生の「モテ期」というものは、ありました。複数の男性から見初められ、ちょっと迷ってしまった時期が。しかし、それはもう少し大人になってからで、中学2年の当時はただのむさくるしい少女でしかありませんでした。
 それに対し、山口くんは彫りの深い顔立ちをしたビジュアル系だったので、ファンはいっぱいいたし、彼は彼で、そういった家庭の事情から女の子と遊ぶ余裕なんかなかったと思います。たとえそんな気があったとしても、彼の当時の複雑な心境を受け止めてあげられるような広い心の持ち主か、または似たような環境ゆえに共感してあげられるような子、そうでなければ無理だったでしょう。


 しかし当時の私には、そういった判断ができませんでした。

「クラスの男の子に恋をした」1982.6.23.


6月23日(水)
 私ね、最近、千春しか好きじゃなかったのにね……クラスの子に恋をしたの。
 ううん、優しいとか、どこが好きとか、そんなんじゃないの。なんだか気になってしかたがなくて、気がつくとあいつの夢まで見てた。あんなやつ、いいやつじゃない、やめろやめろって心の中で声が聞こえるけど、恋しちゃったみたい。だいぶキザなところがあるけど、先生にさされて教科書を読む時はなかなかかわいいしゃべり方だし、それにおどろいたことにけっこう授業中は静かにしてて、熱心に聞いてるときが多い。吉マン(注:先生)には反抗するけどね。
 横顔と正面からの顔が
だいぶ違います。顔はいいです。でも……ま~い~や。
 あっ、そうそうおもしろいこと思い出した。1年のとき、サクラが数ヶ月くらい鈴木(今の山口)を好きだったことがあるんだよ~
 なんと、私より背が高いのです!ちょっとだけ、でもこんなの初めて~
 字はだいぶきれい。班ノートの自己紹介を読んだんだけど、誕生日は忘れてしまった(だって、そのときは恋してなかったんだもん)。
 情報としては、元北山小で、去年は1年8組「鈴木」修二だったんだけど、両親が離婚してお母さんの名前「山口」になったという話。
 初めて山口のことを日記に書いたのが4月20日。5月13日に初めて、私がみんなに「理科のノート先生に持ってくよ~もうありませんか~?」と言ったら、山口が「は~い、ありますよ~」って。初めて会話をしたの。そのあとで、一回「2番どうなった?」と言われ、あと「うそ、28問も出るの!」と言われた。過去に、この3回の会話。 


 そして今日。朝の学活のときだったと思います。
「おい、おい、昨日おまえ、俺んちに電話してこなかった?」
 始めは私、気がつかない。まさか私に話しかけてるなんて思わないもの。
「おい!」
「え?してない」まっさか、するわけないじゃん!!
「ほんと~?おっかしいな~妹が出たんだけど、なんか班の用事とかで。『ひ』がつくやつだったって言うんだけど……。」
「え~なんで~私してないヨ~」
……こんな会話を数秒。これが今まででいちばん長かったな。実にさりげなく答えたんだけど、胸はドキドキでした。


 それに、給食の時間、及川とニコニコおしゃべりする山口の目がチラッとこっちを向きました。だから、今日一日たまらなくうれしかった~~~と言いたかった。本当にこう書けると思ってた。でも書けませんでした。


 そうじの時です。机を下げて、さてふきおわったという時です。
 山口が実にさりげなく、「先生、俺、ひっこすよ」と言ったのです。私の胸の中で、悲しみはどんどんふくれ上がっていきました。
 わ~~ん、ひどい。ひどすぎる。悩みに悩んで、やっとつかんだ恋がもうひきさかれてしまうなんて………。


ついにあんなにしゃべれたという    喜び
山口が行ってしまう          悲しみ
もっと早く恋をつかめばよかったという くやしさ
引っこす山口への           いかり  

↑こんなのどうしようもないけどね↑
林間学校という思い出を作ることができる運命への   感謝
山口のひっこしというニュースを聞いた時の      驚き
そんな重大ニュースにほとんど反応しなかった吉マンの バカ  


 部活に行ったんだ(注:私は演劇部でした)。体育館で舞台練習だったんだけど、バスケ部(山口所属)もそこにいて。でも山口いなかったの。何回も見直したけどいないの。ハ~~と思ったら、ちこくしてきた。そんで、山口の顔見るたびに沈んでた。おなかこわしたらしくておなか痛いし、悲しいし、ぐったり。え~~ん、千春~~と心の中で泣いていた。帰りも目まいがしたし。
 家に帰って、「夕焼け」「忘れたい夜」「炎」「雪化粧」etc 千春のラブソングを聞いてたら、やっぱり泣いてしまった。
 気になって気になって、やっぱり好きだった修二。
 別れまで仲良くして下さい~~~~~💧


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 さあ!いよいよ始まりました。私の片想い歴は非常に長くて、これから延々と続きます。退屈だと思う方は、「片想い」タグをどうぞ飛ばしてお読みください。
 私は過去に4人の男性とお付き合いしましたし、うち一人とは結婚もしたのですが、この中2の山口くん(もちろん仮名、以下同様)約2年、高校の岩田くん約2年、大人になってからも、ある外国人男性に1年近く、そして結婚後(別居中を含む)ある男性に3年以上も片想いをしていました。
 以前、「恋愛中毒」という小説がありましたが、あの作品を読んだ時、私は正確には「恋愛感情依存症」「男性依存症」ではないかと思いました。そして私も多分にその傾向がありますが、私の場合は身の程知らずな、まったく相手にされていない人をしつこく想い続け、時には変な行動に出るというものでした。このせいで私は、人生のかなりの時間を無駄に過ごしてしまったような気がしています。


 その間にもんもんと書き綴った日記など、私が急死でもして遺品整理の際に読まれたとしたら大変なので、さっさと処分してしまえばいいのですが。なんとなくそれも惜しくて、今こうして匿名でブログに書き写しています。
 でもあまりに長くて退屈なので、できるだけ割愛するつもりです。何より、いつまで生きられるか分からないのに、こんなもの悠長に書き写していたら10年か20年、すぐにたってしまうでしょう。


 それにしても、「恋をつかむ」って一体どういうことでしょう。自分の気持ちに気づいただけの話なのに、まるで成就してしまったかのような言い方をして、恋する自分に酔っているだけというのが、なんとも呆れます。
 そのもとになる、家庭環境や持って生まれた性格というものがあったにしろ、すべてはこの日から始まったのだと思うと、なんともいえない複雑な感情になります。


 ちなみに、50歳を過ぎた今、ようやく完治しました。もういい加減こんな過ちは犯さないだろうと自分では思っています。

「涙もろい子だと思われたい」1982.5.13.


5月13日(木)
 私ね、正直いって、涙もろい子だと思われたいみたい。涙が出たら、心のどこかで「やった~もっと出ろ~」みたいに思ってる部分、確かにある。

 ま、確かに私は涙もろい方だとは思うけど、例えば千春の歌を聞いてる時でも、だれも見てないのに涙を出そう出そうとしていることがある。
 どうしてだろう。私の意識の中では、うーん何ていうか、涙もろい女の子の方がいい、と思っているのかもね。
 たとえば、声を上げて泣くでしょ。そういう時は、泣いてるってことを人に見てもらいたいから、口はおさえるけど目、つまり涙は隠さないの。
 でも本当に悲しくて大泣きしてるときは、なんで泣いてるんだろう、いつまで泣いてるんだろうとか思っていることも多いんだけどね。
 結局、正直なところはどうだかわかんない。ただ「涙もろいと思われたい」という気持ちがあることは確か。


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 実は大人になった今でも、そういうところがあります。なんというか、感情におぼれる自分に酔っているんでしょうね。海外では、大の大人が人前で泣くのはみっともないと聞いたことがありますが、相変わらずお葬式などで人より率先して泣いています。テレビや映画などを見ていても泣く確率は人より高いです。
 彼氏や夫と喧嘩なんて時でもよく泣きます。こっちは真剣なんだとわかってもらうためです。本当は涙ちょろりで済むような時でも、少し大げさに長引かせます。また一時期、教師をしていましたが、低学年クラスではどうにもこうにも子どもたちを操縦できない時があり、絶望のあまり、泣きました。結構、奥の手として利用していると言えなくもないですね。


 どうしてこうなったか。それは母親の影響です。うちの母がまさに、涙もろいことを自慢しているような人でした。「そういう話を聞くと、ほら、もうこうなっちゃう」と、赤くうるんだ目を指さして、笑いながら見せびらかしていたのです。それでなんとなく、そういう場面では涙ぐむべきなんだと思い込んだらしいのです。
 私はすぐにもらい泣きしちゃうのよ、私は優しい人間なのよ、とでも言いたいような、そんな母親を軽蔑する気持ちが私の中にはありました。実際はそれほど優しくないと知っているからです。なのにまったく同じようなことをやっている私がいます。
 そしてある時、学校に提出する書類に母が私の性格を「涙もろく繊細」とかなんとか書いているのを見た時は、えらく褒められたようで得意になりました。それでますます、涙もろくなくてはならないと肝に銘じた?のでした。

「千春のアルバムを買った」1982.4.5.


4月5日(月)


 今日、「私からの手紙~My Life」を買いました!!!
 ジャケットがすごくいいのだ。なかなかいい顔だったりして。
 インストルメンタルなんだけど、なかなかいいんだよ、それが!落日っていうのがよかった。そしてナレーションがいいの。すごく長くしゃべってるんだ。なっかなかいいんだ~
 ママがおこるから、今日は2回しか聞いてないけど、明日思いっきり聞くつもり。カラーコードなんだ、青なの。
 うひゃ~~~~~~~~うれしい!
 とうとうちはりんのレコード4枚。ママはもう買ってほしくなさそうだけど、がんばってまた買うぞ~~
 「大いなる愛よ夢よ」か、「歩き続ける時」を買うのです!


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 そうです、私は松山千春のファンでした。
 それはそうと、どうして「ママはもう買ってほしくなさそう」なんでしょうか。レコードを聴いていたら、不良になるとでも思ったんでしょうか。当時はラジオを聞いて、よく夜更かしをしては怒られていましたが、睡眠は充分足りていたと思います(眠かったら、授業中に寝ていたし!)。
 今の私が言わせてもらえるなら、うちの娘なんか、常にスマホをいじっていて、いくら怒ったところでとても管理下になんか置けませんよ。当時の私は二階に自分の部屋があったにもかかわらず、プライベートは皆無だった気がします。今の娘はリビングの隣に部屋があり、音はほぼ筒抜けの状態なのですが、寝ろと言っても寝ないし、買うなと言っても自分のお小遣いで好きなものを買っています。たとえ私が何か言ったとしても全く聞き耳を持たないはず。
 まあ、こういう甘い母親になろうと思ったのが実は私自身なので、文句を言ったところで仕方ないですが。こういう日記を読むと、つい言いたくなってしまうのでした。