まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「将来の夢・その2」 1983.2.24.

2月24日(木)


これまでに私は、しょうらいの希望が何回もかわってます。


ようちえんのころーーー卒園アルバムには婦人けいかんと書いたが、あれはウソ。なぜあんなこと書いたのかわからないが、ともかく童話作家。
小学校低学年ーーーーー童話作家。
小学校高学年ーーーーーこのころ歌手になりたいと思ったこともあったが、卒業アルバムにはやはり作家と書いたはず。
中1ーーーーーーーーー歌手になりたいとも思ったけど、かなり本気で中学校の英語教師。
中2現在ーーーーーーーやっぱり前は「教師になって、子供が生まれたら退職して、したたかにもの書きしよう」と思ってたけど、今は大学行くのがとても大変に思えてきて。高校出たら結婚して、もの書きしたいと思っている。のですが・・・
 今、たまらなく留学にあこがれているので、高校出たら1,2年ぐらい留学してみたいのです。ほん訳の仕事もやってみたいし。


* * * * * * * * * *


 これは面白い。今になって読み返してみると。実に面白いです。
 そう、私はずっと作家になりたかったんです。実は今もまだ少し思っていますが、もう現実が見える年齢になったので、積極的には目指していません。好きなことを好きなように書いていって、いつの間にやら作家になっていたというのなら最高ですが。実際に作家になるための具体的な計画などはしていません(こんなことを書けるのも、このブログが完全匿名であるがゆえです)。
 歌手というのは、まあ誰でも一度は憧れるのではないでしょうか。私にもそんな時期があったということです。姉にもありました。娘にもありました。
 英語教師になりたかったということですが、教科は違えど、教師には、なりました。今も現役で、もう10年以上たちます。実はそれが原因で書く時間が減っているので、もうすぐ辞めようと思っているのですが。
 どうしてなりたかったかというと、授業中は私がボス、自分の好きなようにできるからです。そしてそれは正しかったと思います。だから、こんなに長く続いているのだと思います。
 留学も、何度か、何年かしました。2か国で、二つの言語を学びました。現在は3つ目の外国語を学んでいるのですが、現地に住むことになり、やむを得ず学ぶことになったので、留学とはいえないと思います。
 翻訳も、何度かしました。書くのが好きで、外国語が好きなので、翻訳は私にぴったりの仕事かと思ったのですが。なぜか評価されずに終わりました。通訳も何度かさせていただきましたが、あまり頭の回転が速い方ではないので、向いていなかったと思います。
 今は、福祉の仕事を主な収入源としています。が、今でもしつこく「書く仕事がしたい」と考えています。


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「風と共に去りぬを読んで」 1983.2.6.

2月6日(日)

 信じる―理解するー愛するー重荷を背負うー結婚するー生きる
”Gone with the wind” を、今日読み終わりました。あ~映画にもなった、あの小説ね~なんて気軽に読み始めたこの本が、こんなにも私をとりこにしてしまうなんて!ああ偉大なるマーガレット・ミッチェル!
 な~んて言ってないで、ともかく!


 こんなにも本を読んでボロボロに泣いたのは初めてです。なんかずっとスカーレットの気分になって、レットを失った悲しみにゆれてたけどやっぱり・・・こんな悲劇を読んだのは初めてですから、どうも・・・。
 そこで、立ち直る方法を考えました。この話の続きを作ったの!


「レットを失った悲しみをいやすために、スカーレットは故郷・タラに帰った。その後、多少アシュレと衝突。ウィルの死のニュースを聞いて、生まれて初めての絶望を味わった気がした。でもメラニーの子ボオ、自分の子ウェードとエラ、そしてリューマチを患ったマミーを放っておけないと、必死に耐え抜く。アシュレは半分ぬけがらのような状態で、生きがいを求めて北部へと旅立つ。
 時がたち、ウェードが15歳で婚約する。その年の夏、スカーレットはエラやボオを連れてウェードのフィアンセに会いにアトランタに行った。なつかしい製材所を訪ねると、思わぬ偶然でレットに会う。二人は話していくうち、やはりあなたしかいないと再確認する。ただし再婚はためらわれ、結局レットおじいさんはタラに来て、一緒に暮らすことになる。やはり二人は赤い糸で結ばれていたのだ・・・」


 きっとこうなると思う。スカーレットは、絶対にレットと再会します。
「重荷というものは、それを負えるだけの力のある肩にかかるのだ」
「だが、決してきみをうらんではいないよ」
・・・こんなところが印象に残っています。
 スカーレットを猛烈に愛しながら、それを素直に表現できなかったレット。知らずにつらく当たったスカーレット。でも作者はおそらく、二人がこのような結果になったからといって、なんでも素直になれと訴えたいわけではないでしょう。


 よくラブソングでも、「あの人は私の命」とかいうけど、ピンとこないわけ。でも、スカーレットの話を読んで、さすがによくわかった。愛するということが、見えてきたように思う。今、私はまるでスカーレットになったかのように後悔の気持ちでいっぱいだけれど、二人は再会するのですし、まあこれはいちおう作り話なのですから。そんなに本気でゆううつになることはないのです。スカーレットは、また一つ成長するはずですから。
 レットは、「苦労はプラスかマイナスになる」と言ったけど、その通りだと思う。


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 この「風と共に去りぬ」は、14歳の誕生日に父親からもらったものです。新潮文庫版で、今も手元にあります。
 それまで私は、本格的な海外文学というものを読んだことがありませんでした。いわゆる児童文学とか、そういうやさしいものばかりだったような気がします。なので、この作品を読んだことは、とにかく強烈な出来事でした。日記にもあるとおり、読書でこんなに泣いたのは初めてだったのです。
 その後、私は次々と「海外文学の恋愛小説」に手を染めていきました(アンナ・カレーニナ、椿姫、初恋・・・)。そう考えてみると、時期も作品も、父の選択はまことに的確だったといえます。
 父親は編集者で、私に大きな影響を与えてくれました。書くことを教えてくれたのも、もともとは父です。今現在、生前整理をしていますが、それはつまり、山のようにたまった蔵書の整理です。老体に鞭打って取り組んでおり、里帰りのたびに苦しんでいるのを見ると、つい協力しなければと思って、私も読み切れないほどの本をもらってきてしまいます。


転校、そして【日本語の起源はタミル語にある説】

 


え~、延々と続いている修二くんへの片想いですが。
 こんなの全部書き写してもしょうがないので、ちょっとまとめます。


 二学期が終わり、修二くんは隣町に引っ越してしまいました。複雑なご家庭で、ご両親が離婚され、前はお父さんところにいたのに今度はお母さんのところに行くことになったとか。
 私は結局、いつも目で追いながらも何もできないまま、冬休みを迎えました。年が明けて、登校したら修二くんがまた来ていたので大喜び。しかしそれは転校が取りやめになったからではなく、お母さんが亡くなったという報告のためだったのです。
 その後もちょくちょく顔を出してくれ、そのたびに私の心臓は飛び出そうになり、顔をひきつらせて、なのに何もできないまま。同じクラスにいたときは、それでもほんの少し話す機会もあったのですが、転校してからはそれもなくなってしまいました。


* * * * * *


 この、修二くんというのは、私にとって初恋ともいうべき人です。その後、好きになったりお付き合いをしたりした男性たちと比べても、ダントツのイケメンでした。決して面食いではないつもりなんですが。


 だいぶ後になって、大野晋の「日本語の起源」という新書を読んだのですが、大野氏は日本語はもともと南インドのタミル語が起源である、という大胆な仮説を立てておられます。賛否両論あり、定説にはなっていないようですが、面白いなあと思ったと同時に、私は久しぶりに修二くんのことを思い出していました。
 彼がまた浅黒い顔色かつ彫りの深い顔立ちをしていて、まさに南方系だったからです。私が大野氏のタミル語起源説を信じているのは、修二くんのことを思って妙に納得したからなのです。


大野晋「日本語の起源」岩波新書

「生まれて初めての飲酒」1982.12.23.

12月23日(木)

 部活でね、忘年会&クリスマス会をしたんです。そんで、みんなで200円ずつ出し合って、たるのビール、シャンパン、おかしを買ってきたの。で、のんじまったんだよねーーー。
 はじめ、コップをかたむけ、舌を入れてみたんです。したら、炭酸なのね、ビールって。あー飲まなきゃなんて思いながらも、決心がつかない。だって、すごいにおいなんだもん。さっちゃんが「にがいよ!」なんて言うし。
 でも、いい気分になりたかったから、えーいって飲んでしまった!薬みたい。なに、この味!よく父ちゃんはうまそうに飲んでるけど、わかんないねー。飲んだあと、自分でもわかるくらい口がくさくて、もうたまんない。げ~~
 でも、やっぱり飲んだ後は胸が熱くなって、その後はフルーツバスケットしたんだけど、眠かった!その後なんと下校中によいがまわってきて、なんか一人で変なことしゃべってたみたい。なんかふつうになれなくて、ニコニコしちゃって。帰ったら1時間くらい寝て、やっともとにもどりました。
 明日、二日酔いなんてなったらどないしよ~!


* * * * * * *


 上記のように、未成年の頃は好奇心で飲んだりもしましたが、成人してからはアルコールの味が特に好きでないことに気づきました。ただ飲み会は好きだったので、「私はナチュラルハイだから」と言いながら、ほとんど飲まずに参加していました。食べることは好きなので、飲まなくても充分楽しめました。
 その後、海外に渡り、結婚もしました。住んでいた国はいずれもワインやビールで有名な国でした。夫もお酒好きな人で、私が飲まないことを寂しく思っていたようです。夕食時にはいつも、「ちょっとはリラックスすれば?」と言っていました。そして私は、「これから片付けや用事が待っているのに、リラックスする時間がどこにあるの?」と答えるのが常でした。夫は片付けを手伝ってくれずに、いつもテレビの前に寝転っていました。
 その夫と離婚したのは、もちろん他に理由があったからですが、この「ちょっとはリラックスすれば」については、今思い出しても苦笑してしまいます。


 さて私は、50近くになってアルコールを解禁しました。ここに来て飲酒復帰したのには、訳があります。
 私は現在ある国に住んでいて、ここの国の言葉習得に大変苦労しています。話についていけず、さらに勧められたアルコールまで断っていては、彼らの輪の中にまったく入っていけないためです。「間が持たないから」せめてアルコールを飲み交わす、という動作をする必要があるのです。グラスについでもらい、みんなと乾杯をすることでようやく、輪の中に入ることを許されます。
 グラス片手なら、たとえ話が理解できなくても、違和感がありません。よく見れば、特に発言することもなく、ただ静かに話を聞いている人だっているのです。私のその一員になったと思えばいいのです。もちろん日本語だったらきっと口を挟んでいただろうと悔やまれますが、そこは仕方ない。
 それに、アルコールで頭がぼうっとして、冷静に考えられなくなるのもメリットのひとつです。これは日本人の欠点ですが、理解できないと、つい、いたたまれなくなってしまいます。私がこんなところにいていいんだろうか、場違いじゃないだろうか、もっと言葉が上達してから参加すべきじゃないか、などと遠慮してしまうのです。アルコールは、そんな控えめな気持ちを吹き飛ばしてくれます。話についていけなくても気にしない、口をはさめなくてもしょうがない、そう考えることさえできなくなります。
 本当に、文法が間違いだらけなのに、堂々と話しまくる人たちがうらやましくてたまりません。私には、どうしてもできない芸当です。この日本人の完璧主義、どうにかならないものでしょうか。間違いを恐れて、何も言えない。
 アルコールは、そんな悪い癖を一時的にせよ払拭してくれる、貴重な飲み物です。少なくとも私は、そう思っています。


 かといって私が、解禁後に大酒飲みになったわけではありません。
 特に別居後は、友達が「大丈夫?アルコール依存症にならないで~!」と心配してくれました。ケチな夫から解放され、自分で好きなものが買えるようになったので、友達を食事に招いた時のためにワインやプロセッコを買うようになりました。やがて自分のためにもビールなどを買って、一人で飲むようになりました。
 しかし晩酌できるのは、翌日の仕事が休みである日に限ります。睡眠が浅くなるからです。酔った勢いで入眠できても、夜中に目が覚めてしまい、その後は寝付けません。睡眠障害にさんざん悩まされた私は、安眠を妨げるものは、できるだけ避けるようにしているのです。
 それに、グラスについで、食卓に用意していても、なんと飲むの忘れていることがあるのです。食べることばかりに気をとられているためです。やっぱり私は酔いたいのであって、味を楽しみたいわけではないんですよね。
 というわけで、依存症になる心配は、今のところありません。それでも、明日は休みだと思って開放的になり、ちびちび飲みながら料理したり、娘と飲み交わしたりするのは、今の私のささやかな楽しみとなっています。ここに来て、こんな楽しみができるとは、思っていませんでした。


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「もうお別れです」1982.12.15.



12月15日(水)


修二とは、お別れです。。。
 3学期から、西中へ行っちゃうんだって。。。卓巳と話してたのを聞いたんです。
 ポカンとして、何を思ったらいいかわかりません。もう、残された希望は高校です。西高校へ行こう。
 修二って、なんであんな素敵にほほ笑むことができるの。。。別れても、修二を愛します。


12月22日(水)


 きいて!!
 給食のじかん。私がゆかにおいてあった牛乳びんをけとばしてしまった。幸一「あ~高橋、やだよ~。牛乳びん、けとばした~」←すんごくにくたらしく言ったんだよ?そしたら修二も続けて「やだよ~高橋」。私、「すうみまへん」。
 そうじのじかん。机を運んでたの。向こう側に修二がいたから、あたし、あとは修二に運んでもらうつもりで、途中まで運んで、あとおいといたの。したら、修二、「おまえ、何だよ、ちゃんと最後まで運べよ」だって!!もちろん、そのあと最後まで運んだよ!
 帰りの学活。あたしがりかしゃんの席でしゃべってたら、「たかはしぃ~」なんて遠く、自分の席からあたしを呼んで、「すわれよ」なんて言ってくれたんどえす。
 あああ~~~~~
 こんなことになるなんて!とってもうれしいです。
 1月4日にクラスで、遊園地に行くの。修二も来るかも!!
 ただくやしいのが、今日の給食前、ちーちゃんと修二、こそこそ二人でないしょ話してた。。。あーん、やきもちです。
 でも、とにかく!別れまでしゃべってくれれば、それでいいです。


* * * * * *


できるだけ割愛していきます。