まだ若いけど・・・遺品整理します

12歳の頃から書いてきた日記が、たまりにたまって400冊。処分する前に、かつての熱い想いをブログ上に残しておこうと思いました。

「なぞの猫」1981.12.2.


12月2日(水)


 今、なめ猫というのがはやってるの。猫にツッパリのかっこうさせたブロマイドやポスター、レコード etc.
 今日、帰ったら家の前に猫が行儀よくすわってました。私が門に入ろうとしたらこっちに来て、入ったり出たり。そして私に近よってくるの。カバンでさえぎっても。そして門を入ってきて、また近づいてきて・・・。

 そんで、なき声がまたおそろしいの。なんか不気味なの。あんまりしつこいから、しっ!って言っても、全然にげない。
 猫って私、前々からこわかったのよねー。ひっかくし、昼間のあの目つきがおそろしい。小さいころはかわいいと思ってたけど、猫にまつわる色々なこわい昔話を知って、ちょっとおっかなくなったんですよね。
 なんとか家に入っても、まだあの声でないてる。いつまでもいつまでも、お姉ちゃんが帰ってきても、ママが帰ってきても、せいじ(※弟)が帰ってきても、おやつ食べてても、机で勉強してても、まだないてました。
 私をかいぬしだと思ったのかナ。
 それとも、のろいだろうか。
 どこかの国の使いだろうか。寒かったのか。
 この手のタイプが好きだったのか(!)
 私にうらみを持った、だれかのうちのねこだろうか・・・。
 考えればきりがない。かわいそうだけど、家には入れられません。ごめんね。
 正体がはっきりすれば、なんとかできたんだけどね・・・。
 無事に目的地へ着いてください。キミの目的地は、どうやらうちではなさそうです。


* * * * * * * * *


 猫も犬も、動物はすべて苦手でした。突然、予想外の行動に出るかもしれない(噛む、引っ掻く等)という理由で、気軽になでたり抱いたりができなかったのです。そういうことができる人が、心底うらやましかった。
 路上で犬に遭遇したりすると、本当に困りました。普通にしていて、見ないで通り過ぎろと言われていましたが、かなり難しいものです。さらに犬は、そういう微妙な空気を敏感に感じ取るのだそうです。それでますます恐怖が募っていきました。
 なのに、過去に何故か、私が犬や猫と親しんだ時期もあったようです。一時的ではありましたが。また、追々お話ししていきます。

「お夜食」1981.11.25.


11月25日(水)


   エーン  エーン
 私は今、お夜食がもらえなくなったから泣いてます。
 さっきママが来て、小声で「9時半になったら、お夜食持っていってあげるからね。ココアがいい?」なんて言うから、「うん!」って答えたの。そしたらせいじ(※弟)が聞くから「お夜食のこと」って言ったら、「ぼくにもちょうだい!」なんて言うし、しつこくて、それで「ようちゃん(※私)あそんでたよ!」なんて言うから、ママ「じゃあ、もうお夜食あげない!」なんて言うんだもん。
 私、ちょっと歌ったりボケっとしてたりしてたけど、でもちゃんと数学やってたんだよ。
 あそんでなんかいないよ。なのに・・・。
 せいじのせいだ!
 いっしょうけんめい勉強してる時に、ママがあったかいココアとおかし持って「やってる?」なんて来るととってもうれしいのに。昨日だって、お夜食ずっと待って、ずっと勉強してたんだよ。来なかったけど。
 とにかく今は悲しいのです。
 泣くほどじゃないかもしれないけどさ。
 やる気を起こすのは、聖子のカセット(5科目平均85点以上だったら、カセット買ってもらえる)と、お夜食、この2つだけなのに・・・。
 エーン エーン
 ママ、気がかわって、来てくれたらいいナ


 10:09
 お夜食(ココアとお豆)もってきてくれた~!!


* * * * * * * * * * *


 そういえば私は、娘にお夜食を持っていってやったことがありません。
 まず家の構造が違い、私は2階に部屋がありましたが、うちの娘はリビングのすぐ隣です。みんなとテレビを見ていた私が、リビングを出て階段をのぼり部屋に行く=勉強しに行くという暗黙の了解があったのと違って、娘はちょっとしたことで部屋に行きます。ちょっとしたことですぐ戻ってきます。さらに、部屋のドアを閉めるので、何をしているかわかりません。音楽を聴いていることが多いですが、チャットに夢中になっている時もあります。音楽を聴きながら勉強している時もあります(本人曰く)。
 おまけに、私が部屋に入ると怒りました。近頃は反抗期も終わりが見えてきたので、私がドア越しにしゃべっていると、聞こえないからドア開けてと言うようになりましたが、ほんの数か月前までは、「誰が勝手に入っていいって言った!?」と大騒ぎでした。
 お夜食というのは、頑張って勉強しているところへママが入ってきて、机まで持ってきてくれるものです。うちの娘の場合は、それを成立させない条件がそろっていたため、無理でした。正直いって、娘はほとんど勉強していなかったと思いますし(確かめることはできませんでしたが、様々な事実からの推測)、ただでさえ夕食が遅いのに、さらにその後でカロリーの高い食べ物を与える意味も見い出せませんでした。夜更かしだけはしていましたが・・・。


 けれど、以前、娘にお夜食のことを話した時、娘は「なんでやってくれなかったの。そんなのがあったら、すごく嬉しかったのに!!」と言ったのです。確かに娘はお菓子が大好き、それにつられてひょっとしたら喜んで勉強していたかもしれません。私はテストの点数に応じてご褒美をあげるようなこともしていませんでした。
 今となってはもう遅いですが、子供のやる気なんて、そんな単純なことで出てくるものなんでしょうね。もう少し早くこの日記を読み返せばよかった。

「性格テストをしたこと」1981.10.20.


10月20日(火)


 今日、図書館にあった本で性格テストをしたら、私「かびん性」だって。しんけいしつなの。感受性ゆたかで、人の心がわかり、人のきずつくことを言わない(これちがう)etc. で、ほとんど当たってた。この性格の人は頭のいい人が多いんだって!


* * * * *


 実はその類のテストをして、過去に何度も、感受性が豊かだとか、過敏症だとかいう結果が出ました。それに影響され、なにかあるたび、私は過敏に対応しなければならないと心の中で思っていたふしがあります。変な話ですが。
 具体的には、みんなでドラマや映画を見ている時、感動的な場面では必ず涙を流さなければいけない。お葬式に行けば、誰も泣いていなくても私は泣かなければいけない。そう思ってしまい、実際にそうしていました。その間ずーっと泣いているわけではないのですが、何かのスイッチが入るともう自分でも抑制できないくらい号泣。でも、スイッチが切り替われば(または時間がたてば)涙は止まる。
 ここ最近は、娘も大きくなり家を空けることも多くなりましたし、ユーチューブという便利なものもできたので、ドラマやドキュメンタリーを一人で見る機会も増えました。人目を気にしなくていいので「泣かなければ」なんて思わないのですが、一人でいるほうが簡単に涙が出てくるような気がします(一人で古いドラマを見たり、懐かしい歌を聴いたりして涙を流す。異国の地にいる私にとっては究極の現実逃避であり、最高の息抜きです)。


 過去に涙が止まらないほど、いつまでも泣いていたことって、あまり思い当たりません。例えばバレエの先生にひどく叱られて、もうやめたい、でももうすぐ発表会だしやめられない、どうしようかと絶望している時にいつまでも泣いていたような。何度も失恋して大泣きしましたし、友人や家族、ペットを失ったり、窮地に立たされたりした時もかなり長いこと泣いていました。
 けれど私は基本的に楽観主義というか、わりとすぐに解決策を見つけて立ち直るタイプです。日記に想いを書き尽くして、気持ちの整理をしているからだと思います。


「人の傷つくことを言わない(これちがう)」というのは、的外れなことを言って、それが誰かの気に障り、傷つけたり立腹させたりしたという経験が何度もあるからです。なのでもちろん故意にではなく、注意不足のうっかりなのですが。これは「人の気持ちがわからない」というより、発言する前に想像力を働かせていないということですね。
 だから私は、話すより書く方が好きなのです。


「頭のいい人」って、一体どういう人のことを言うのでしょうか。学校の成績で言うなら、これは当たっていませんでした。私が優等生だったのは、小学生まで。この日の日記は中学1年の頃なので、もうそろそろ現実が見えてきた頃です。その後は見るも無残に転落していきました。それでも、好きな科目は自発的に勉強したので成績もよく、大人になった今も続けているというわけです。
 まあ、こんなの、よくある話ですよね。

「作文が表彰されたこと」1981.10.19.


10月19日(月)


 今日はね、朝からムンムン暑くて、朝会もポケ~。やっと校長先生の話が終わって、もうちょっとだと思ってた時・・・「表彰者がいます」の声。え、なんだろ。「1年1組、高橋遥子さん」え~~私、一瞬どきっとしたね。1年1組はわかったけど、あれ~高橋って、私の名前・・・って感じ。「えっ、何、なんかあった・・・?」本当に、何がなんだか分からなかったよ。前に出て下さいって言うから、しょうがなくさ・・・でも何の賞だかさっぱりわからないの。


 先生が賞状を読んで、やっと分かった。夏休みに書いた、福祉についての作文です。良かったらしいんです。まさか・・・私がこんな賞をとれるなんて夢にも思わなかったよ。急いで書いた作文だし、本当の気持ちを多少かっこうつけて書いただけ。かっこうつけなくちゃひどいんだもん。
 最近、作文なんかぜんぜんほめられなかったから、あまりにもとつぜんの受賞におどろいた。


 教室に入ったら、きーちゃんにわざとらしく喜ばれて、思い出したの。きーちゃんってね、ちょっとうぬぼれてて自分で自分の作文を「うまいでしょ。感動しちゃうー」なんて言ってたの。だから、私はすっかり作文に対しての自信をなくしてました。つまり、うぬぼれてなかったために、突然の受賞。私もそういえば小学校でうぬぼれてたころ、友達が受賞して、私の方がうまいのにと思いながら、わざとらしくオーバーに喜んであげたものです。
 そんでまた、うぬぼれない方が得という気持ちになりました。


 そして、帰ってから。なんとなく見せびらかしたい気持ちでお姉ちゃんに「パパの机の上の賞状見た?」と言った。したら、「うん・・・私、夏休みにあの作文読んだけど、あんまりよくないよ、あれ。なんとなく、日ごろの生活と結びついてないじゃん」と言われて・・・。「なんだ。下手な作文がいくら選ばれたからって、喜んでバカみたい」と思った。正直なところ、私もそんなに満足する出来ではなかったんだ。だから、すごくがっかりした。


 と、3つの心をもった出来事でした。


* * * * * * * *



 作文や童話などを褒められたことは何度かありますが、表彰されたのは後にも先にもこの時、1度きりです。なのに作文も賞状も残っていないし、なんという賞だったかも憶えていません。


「うぬぼれ」という言葉が出てきますが、要するに「調子に乗るな」と言いたいのだと思います。調子に乗らずに、でもちゃんと自信を持って日々生きていたのなら、私の人生は今頃だいぶ違ったものになっていたはず。しかし私は変に調子に乗っていたために(そのくせ真の自信はまったく持てなかったために)いろいろ失敗してきました。失敗する前に逃げてもいました。
 今となっては、当時の私に「うぬぼれてても調子に乗っててもいいから、前向きに頑張れ!」と言いたい。もう遅いですね。




 福祉がテーマということですが・・・。私はずいぶん前から、福祉の仕事がしたいと漠然と思っていました。周囲に福祉施設があったわけでもなく、そういう方々と触れ合った経験もないのに。おそらく、福祉関係の仕事をすることによって社会に貢献できると考えていたのでしょう。それしか方法が思いつかなかったのだと思います。
 その後も長い間、福祉分野とはまったく無縁の生活をしていました。が、なんと去年より福祉施設で働いています。貢献だなんだという理由ではなく、ただ生活のためでした。が、誰かのお役に立っているというのが、今の私のささやかな喜びです。


 まったく、人生とはわからないものです。

私の日記が続く理由


 最初の記事を書いたのは、なんと2年以上も前でした。あの後で別居に踏み切り、今はあと1週間で離婚が成立しようとしています。
 実はこのブログは、開設したものの、更新する時間が確保できずに長い間放置されたままでした。先日ぽっと時間が空いた際、何気なく見てみたら、まだ2年前の記事の下書きが残されていたので、よし掲載しようと思った次第です。


* * *


 プロフィールにも書きましたが、小6の頃から日記をつけています。その前にも書いてはいましたが母親に見せていたので、正直に書けず、面白くなかったのです。
 また、毎日書くと決めていたために、つい日記を「ためて」しまい、後日書こうと思っているうちに、最後のほうは空白ばかりになっていました。


 そんなある日、家族で登山をしている最中に、ふと思いついたのです。自分だけの秘密の日記を書こうと。以来(彼氏に見せちゃったりもしましたが、それ以外は)誰にも見せずひそかに綴ってきました。私は話すことが苦手なので、書くことで感情を発散させてきました。
 そしてもうひとつ、毎日書こうとすると続かないという問題がありましたが。毎日は書かないことにしたのです。書かない日があっても、後から書こうと思わない。書きたいことがある時だけ、書く。なので私は市販の日記帳ではなく、普通のノートに書いています。最近は忙しいこともあり、気がつくと2週間も書いていなかったり。


 それでも、日記は続いています。すきま時間に書けるよう、ノートは常に持ち歩いています(通勤時間は短いので、スマホ見ておしまい、ということも多くなりましたが)。


 過去の日記は、読んでいると単純に楽しいです。すでに忘れていることも多いので、まるで他人の日記を読んでいるかのよう。古いものから順に少しずつ、整理していきますね。